『オペラ「王さまの耳はロバの耳!」について』(子ども向け)
ほとんどの方が、たぶん子どもの頃に、本であったり、誰かに話して聞かせてもらったりして、1度、いや何度も、この有名な物語に接する機会があったと思います。私自身、どういったタイミングだったかは全く思い出せませんが、絵本であったり、またはテレビなどで読んだり観たりしていたので、とてもよく知っている身近なお話でした。
この作品には、「王さま」「とこやさん」「女の子」という3人の人物が登場します。3人とも異なった個性を持っているわけですが、何か特別な個性ということではなく、それぞれどこにでも居そうな性格、個性の持ち主だと思います。
「王さまの耳は、だいぶ個性的だよ」
たしかにそうかもしれませんね。
でもたとえば、運動が苦手とか、勉強がわからなくてこまったとか、
そして、そういった自分をとても気にしてしまうことなどは、
王さまが、自分の耳をとても気にしてしまうところとよく似ているんじゃないかなと思います。でもそういうことって、だれにでもよくありますよね。
「王さま」にしても、「とこやさん」にしても、「女の子」にしても、それぞれ似た感じの人が、この世の中にはたくさんいると思います。
「王さま」のように、自分のことをとても気にしてしまう人
「とこやさん」のように、なんでもかんでも人に話してしまいたくなる人
「女の子」のように、相手を勇気づけられる人
お話に出てくる人の中で、だれが一番自分に似ていますか?
そんなことを少し考えながら、このオペラを観ていただけるとうれしいです。
そして、もし歌えそうなメロディーがあったら、その登場人物になったつもりで、
あるいは応援する気持ちで、ぜひいっしょに歌ってください。
作曲家 木村哲郎
テオリアプロジェクト・森のテオリア芸術監督
オペラ「王さまの耳はロバの耳!」
出演者&スタッフ(2024-2025シーズン)
原作:ギリシャ神話・ポルトガル民話
脚色・台本・作曲:木村哲郎
■うた(森のテオリア)
王さま:中馬美和/竹村真実
女の子:金刺美穂/竹村真実/山口和子
とこや:神谷真士/楢崎まさひろ/渡辺正親
■楽士(森のテオリア)
ピアノ:小堺春菜/武田真梨/三代川恭子/中西直子
フルート:栗田智水/黒田聰
オーボエ:中村あんり
クラリネット:大藤豪一郎/小坂真紀
ファゴット:磯﨑政徳/中澤美紀
■美術:古口幹夫(金井大道具)
■衣装:武藤銀糸
■ヘアメイクデザイン:木附沢美耶
■照明:相木美幸(kaleidoscopic)
■宣伝美術:佐々木秀夫(design studio MOJA)
■収録:彦坂僚太
■撮影:長山和将
■舞台監督:山本愛(RAF)/木村哲郎
■芸術監督:木村哲郎
オペラ「王さまの耳はロバの耳!」と朗読うた物語「よだかの星」
王さまのありのまま、あるがままの心を大切にしてくれる、女の子。この女の子の存在は多分誰にとっても必要で、それは家族かもしれないし、仲間かもしれないし、恋人かもしれないし、社会かもしれない。
コンプレックスをかかえる王さま。「パパとママはいいっていうけど、、僕はいやなんだ。」このセリフは辛い。本当につらい。本当はすべて祝福されて生まれてきて存在しているはずなのに、、、。
王さまが変わっていく、というか心が溶けていく、閉じこもらないで開いていく過程、これも本当に自分を振り返ってみても本当に難しくて、本当はそんな簡単に溶けない。ロバの耳自体も嫌だし、他人にみられるのも嫌だけど、それよりも、本当のところは、耳のことを隠す自分のことが王さまは嫌なんだと思うんです。でも、その部分まで、大切にしてくれる人がいることで王さまは溶けていく。人の目を気にして生まれる硬い心を救ってくれるのも人ではないかと思うんです。
自分のことが嫌いっていうことは他人には(もしかしたら自分にも)ばれていない。王さまにコンプレックスがあるなんて誰も思っていないし、ちゃんと社会生活を送っている、ようにみえる。だから「とこや」も茶化しちゃう。大したことだと思ってないことだから。まさかそんなに気にしていることだと思えないから。誰も悪気も何もないんです。でも、王さまはすごく気にしているから言われたら怒ってしまう。私の中で3人とも愛すべきキャラクターです。でも言ってほしかった、それは辛いんだって。いや、王さまに言える環境をつくってあげたかったと思うんです。そして、大したことじゃないことをなんで無理に隠したんだろうって王さまに思わせてあげたいんです。世界はあなたが作り上げた妄想よりももっと寛容です。(と誰かが言っていました!)
『朗読うた物語「よだかの星」』ではロバの耳と同じ作曲家で同じ演奏者にも関わらず全く違う空間を体感してもらえる。題材探しをしていて、「よだか」は一度ボツになっている。しかしこの内容がずっと気になっていて個人的な解釈も揺らぎながら上演し続けている。最近ではカンパネルラやブドリがとった行動は実は自己犠牲ではないのかもしれないと感じはじめている。よだかと同じように、存在や関係性への強烈な問いかけが彼らにもあったのではないか。でも星になったら彼らに会えなくなってさみしい。星になっていつも心の中にはいても、触れられない、癒せないのは強烈にさみしい。
木村さんの曲は「言葉」と「音楽」と「映像」が同時になだれ込んでくる。音楽による心理描写と解釈がこのつらい本を最後まで読む(聴く)ことを助けてくれる。そして公演するたびに必ず涙する人がいて、いつも「この人の心も自分と同じように何かに反応したんだろうな」と思いながら、涙が出そうになる。この作品から何かを感じている自分がいて、それが何かみえてなくても、他者の中にもそれが生まれているであろう瞬間を目撃するたびに何か安心する、癒される自分がいる。
プロデューサー・クラリネット奏者 大藤豪一郎
テオリアプロジェクト代表理事・森のテオリア主宰
(2024年6月29日北沢タウンホール公演のプログラムノートより)